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平野哲郎―読書・映画ノート

自分の記録も兼ねて「これはよかった」という本・映画について感想を書いていきます
   
  1. 『将棋の子』(大崎善生)
    棋士になるための養成所である奨励会の規則で定められた「26歳までに4段」を達成できず、退会した青年たちのその後を描くノンフィクションです。
    これを読んで思ったのは、夢を叶えるために必要なものは、@自分の能力・適性の見極めとA真摯な努力だということです。運も必要な要素として挙げられることが多いのですが、大人になってからの運は人が「運」んでくれることも多く、「縁」という面も大きいと思います(人生の最初にどの親の子として生まれるかは本当に運ですが)。縁は、努力で築かれる部分も大きいので、結局、運の多くはAに含まれるように思います。
    あと、この本に出てくる元奨励会員たちのその後をみて感じたのは、夢が叶わなかったときに、B「これでいい」と気持ちを切り替えていける柔軟性があるか、挫折を引きずるかで、その後の人生が大きく変わるということです。

         
  2. 『法服の王国』(黒木亮)
    昭和40年代から現代までの裁判所の姿を裁判と司法行政の両面から、原発訴訟を軸に描く群像小説。とてもよく取材されていて、裁判所内部の人間でなければなかなか知り得ないようなエピソードが散りばめられています。
    ただ、一点違和感を覚えた点があります。主人公の一人である最高裁判事が、高校以来交流のなかった父親が強盗事件を起こしていたということを理由に、最高裁裁判官会議の結果厳重注意処分を受けるのですが、本人が全く関与していない親族の事件を理由に処分をされることはあり得ないだろうと思いました。現に身内が犯罪や大きな不祥事をおかした裁判官はいますが、裁判官自身には何ら影響はありませんでした。
    裁判所の人事に関する様々な問題は本書に描写されており、それはかなり実態に近い部分もあると思いますが、身内の事件を本人に影響させないという点では裁判所は公平であるように思います(当たり前のことですが)。
    映画
  1. 『杉原千畝』
    杉原千畝氏がリトアニアからシベリア経由で脱出しようとする数千人のユダヤ人にビザを発給した外交官であることは知っていました。私がかつて外交官になりたいと考えた理由の一つは杉原氏の存在でした。この映画では杉原氏が単なるヒューマニストではなく,優れたインテリジェンス・オフィサー(諜報活動家)であったことも描かれています。その重要な功績はナチス・ドイツがソ連との条約を破って侵攻することを事前に察知していたことです。しかし,この貴重な情報を当時の日本政府は無視しました。これはスターリンがゾルゲによってもたらされた同様の情報を無視したのと同様です。真実に基づく情報を無視した結果がいかに悲惨なものであったかは歴史が物語っています。

    人は都合の悪い真実に目を背けがちです。無視しているうちにあたかもそれがなくなるかのように。しかし,たいていの場合,見て見ぬふりをしていくうちに事態は悪化していくのです。権限のある立場の者が真実を無視し,真実を告げる者を遠ざけた場合には特に大きな損害をもたらします。多くの「事故」において事前に警告は発せられていたのにそれが無視されており,内部で警告を発した者は排除されています。杉原氏もその警告は無視され,かえって閑職に転任させられ,そこでは何もするなと命じられ,戦後日本に帰国すると外務省から追放されてしまいます。

    災厄を防ぐためには一人一人が真実に向き合うことしかありません。「人としての真実は何か」これが杉原氏の行動基準だったからこそ,法的要件を満たしていないユダヤ人にビザを発給できたのでしょう。彼のしたことは形式的には違法かもしれません。しかし,あえて法を犯すことで救える命がある,悪法も法だと墨守するのか,人としての真実はどこにあるのか,杉原氏は悩んだ末,職をなげうち,命も危険にさらす覚悟でそのとき自分にできることをしました。そのとき40歳,リトアニア領事代理といういわば中間管理職です。本人も前年リトアニアに着任したときはそのような事態に直面するとは予想もしていなかったでしょう。「世界を変えるためにできることは何か常に考えている」というのは映画の中の杉原氏のセリフですが,心の備えが常時あったからこその決断でした。彼は単なる「役人」ではなかったのです。

    その覚悟を問いかけられる映画でした。


  2. 『The Judge』(邦題:ジャッジ 裁かれる判事)

    田舎の厳格な裁判官である父が,かつて裁いた元被告人を妻の葬儀の日に轢き殺したという罪で起訴され,都会で営利主義的な仕事をしている息子がやむを得ず弁護に関わることになります。息子がティーンエイジャーの頃に起こした事件をきっかけに長年断絶していた父子関係が,弁護をしていく中で徐々に回復していく様子が,インディアナ州の美しく、また厳しい自然を背景に描かれます。もつれていた感情の行き違いや誤解が解けていく過程の中で父親の息子に対する真実の愛情が明らかになります。「親の心,子知らず」という諺が思い起こされ,涙があふれました。今は分からなくても,最後には分かり合えるという希望が残る名作です。