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平野哲郎―雑記帳 |
高校時代(1985−1988年)
「”議員先生”の教育楽しみに」朝日新聞「声」欄1986年11月9日(掲載許諾取得済み)
衝撃のデビュー作です(笑)
かなりとんがった政治批判をしています。私はもともと憲法の理念に従って,世の中をよくする仕事がしたい,世の中をよくする仕事は政治家だと思って,政治家になりたいと考えていました。ところが,人の意見を最後まで聴こうともしない議員の態度を国会中継で見て,これでは小学校の学級会以下ではないかと驚き,呆れて書いた文章を朝日新聞に送ったところ,採用されました。
掲載された投稿を見て,担任教師から「こういうことは大人になってから言うように」と注意されました。私は,「こういうことを言う大人にはならないようにしよう」と思いました(笑)
「振り返れば,そこに古河マラソン」浦和高校同窓会誌麗和50号2007年
私の出身校である浦和高校では,毎年11月3日の文化の日(旧明治節・明治天皇の誕生日)が晴れの特異日(統計的に晴れが多いとされる日。真偽については不知)とのことで,浦和から茨城県古河市まで東北線に沿って約50キロメートルを走るという「古河強歩大会」(通称古河マラソン,略称古河マラ)が行われています。
朝,7時くらいに出発して13時ころがタイムリミットでした。全て走りきれる者はわずかで,あとは途中まで走って,後は歩いたり,走ったりという感じだったと思います。非常に苦しいのですが,根性はつきます。これは,そんな想い出を同窓会誌50号記念号に寄稿した文章です。 高校時代は英語部で,英語で「黒猫」(ポー),「怒りの葡萄」(スタインベック)などの劇を演じたり,英文タイプライターでイギリスの高校生と文通したりしていました。
大学時代(1988−1992年)
「樋口ゼミの思い出」樋口陽一先生古稀祝い文集2004年
私は,小学校の時の社会科の授業で憲法について教わって以来,憲法は素晴らしいものだと思っており,大学では是非憲法のゼミをとろうと思っていました。東大法学部は(今どうか分かりませんが),他の大学とは異なり,3年生から専門科目のゼミが始まり,しかも期間が半年ごとでした。また,ゼミ履修は任意です。
ですので,私は3年生前期に樋口ゼミ(憲法),後期に芝原ゼミ(刑法),4年生前期は司法試験のためにゼミはとらず,後期に中山ゼミ(無体財産権法)をとりました(今,研究している民事法関係を全くとっていませんでした(笑)。また,これも研究対象としている,医事法は当時は大学ではほとんど教えられていませんでした)。
この文章でも書いていますが,樋口先生は「いざというとき」になったら憲法学者として広く発言されると仰っていましたが,最近は「いざというとき」になりつつあるのか,積極的に発言されています。
例えば,樋口先生の「いま,憲法は『時代遅れ』か」(平凡社,2011年)は,高度な内容が分かりやすく伝えられており,市民も法律家も得るところの多い書物ですが,その中で憲法学者は十分憲法の内容を伝えてきていなかったのではないか,という趣旨のことを反省を込めて仰っています。私も,できるだけ現実に役に立つ研究をし,かつ,それを分かりやすく伝えていきたいと思います。
「理論は先鋭に,人柄は温厚にというのが学者の理想」という樋口語録があると仄聞しました。そうありたいものです。
司法修習生時代(1992−1994年)
「『民の自律』で大丈夫なのか」朝日新聞「声」欄1993年11月2日(掲載許諾取得済み)
司法修習は茨城県水戸でしました。
修習中,茨城県知事がゼネコンからの収賄で東京地検特捜部に逮捕されるという事件が起きました。そのころ,ゼネコンによる収賄や談合が大きな問題となっていましたが,それと並行して行政改革審議会の最終答申で「官主導から民自律」という大転換が提案されていました。
しかし,ゼネコン大手幹部が汚職や談合を自分たちで調査して,防止する意欲も能力もないと会見で公言しているような状況で,「民の自律」に委ねて大丈夫ですか,という投書をしました。
その後,2001年に出された司法制度改革審議会報告書で「行政による事前チェックから司法による事後チェックへ」という大転換がなされるに至り,「自由競争」「自己責任」が強調され,自由競争からの極端な逸脱や自己責任では放置できないほどの脱落については司法救済するという方向に日本は進んできました。
その結果,例えば医療事故についても刑事・民事司法による解決に委ねられるケースが増え,それに対して医療界からは「司法による医療破壊である」というような反論がなされています。
しかし,この投書の末尾の文章の「民間企業」を「医療界」に入れ替えればそのまま,今,私の言いたいことになります。すなわち,「医療界が本当に自律したいのならば,行政官庁や検察(,裁判所)の力を借りなくてもそれができることを,まず示してほしい」。同じことは,医療界だけではなく,法律家,大学など「自律」「自治」を掲げる他の専門家集団にも当てはまることです。「聖域」に手を出すな,と言って自分たちに甘い対応をしているだけであれば,「他律」が必要になるでしょう。
この投書のときは肩書きは「司法修習生」ではなく(司法研修所は最高裁の付属機関です),「公務員」としていたのですが,翌年4月に任官を控えていたので,投書自体を控えるよう注意を受けました。裁判官の表現の自由はどこまでが許され,どこから制約されるのか考えてみる実例でもあります。
同じ朝日新聞の「声」欄に1997年10月「裁判官の令状は警察官・検察官の言いなりに発令されている」という趣旨の投書をした寺西裁判官が,組織犯罪対策法反対集会で「パネリストとしての参加は取りやめた」などと発言したことが「積極的政治運動」(裁判所法52条1号)に当たるとして懲戒対象とする処分が最高裁で確定したのは1998年12月でした。
私が,任官後「裁判官」と職業を明記してこの投書をしていたら懲戒されたのでしょうか?
裁判官時代(1994-2002年)
ある程度以上の規模の裁判所では,裁判官になって10年未満の判事補が「判事補会」という会を作っていることが多いようです。
判事補会では,毎年会員からの文章を集めた雑誌を作っていることが多いです。
以下は,私が判事補会の雑誌に書いた文章の一部です。
「令状問題事例集」 横浜地裁判事補会誌浜千鳥9号1996年
私が勾留請求を却下した事例などの紹介と令状実務の「残念な現実」とそれに対する意見を述べています。
2014年11月22日追記
最高裁が,妥当な判断をしました。ほとんどあり得ないような抽象的な罪証隠滅のおそれで身柄を拘束するのはおかしいですよね。
勾留請求を却下した原々裁判を取り消して勾留を認めた原決定に刑訴法60条1項,426条の解釈適用の誤りがあるとされた事例(最高裁第一小法廷2014年11月7日決定)
保釈を許可した原々決定を取り消して保釈請求を却下した原決定には,刑訴法90条,426条の解釈適用の誤りがあるとされた事例(最高裁第一小法廷2014年11月18日決定)
「破産免責についての考察」札幌地裁判事補会誌ウネウサラ8号1997年
破産者の99パーセント以上が免責されている現実と常識的なモラルをどう折り合いをつけるかという裁判官の悩みを書いています。
「アメリカの裁判官と裁判所職員」札幌地裁判事補会誌ウネウサラ9号1998年
アメリカ留学中に見聞したアメリカの裁判官の執務状況,選挙,給料などについて,また書記官,速記官,廷吏,事務局などについて紹介してます。裁判官以外の職種についてのレポートは比較的珍しいと思います。
「札幌簡裁の実務」札幌地裁判事補会誌ウネウサラ10号1999年
簡裁判事として民事事件を担当していたときの体験レポートです。消費者金融業者の無茶な法廷戦術などを伝えています。
龍谷大学時代(2002年―現在)
龍谷漫学
龍谷大学法学部・法科大学院では,「龍谷法学」という紀要を年4回発行しています。
「龍谷漫学」はそのパロディーで,龍谷大学法学部・法科大学院所属教員でマンガ好きな人が時々集まってマンガ研究会をしていた成果を発行したものです。
刑事法の村井敏邦先生(日本刑法学会元理事長・一橋大学・龍谷大学名誉教授。下記の「龍谷」での座談会も参照)が会長で,民法の森山浩江先生(現在は,大阪市立大学教授)が事務局長でした。発刊には土山希美枝先生(地方自治,公共政策。現在は龍谷大学政策学部准教授)が多大なご尽力をされました。
「私のマンガ遍歴」龍谷漫学1巻1号2010年
私はマンガが大好きで,小学生のころから古本屋で『火の鳥』などの全巻買いをしたりしていました。
中学生の時の通知票には,親に「マンガばかり読んでいて全く勉強しないが,自分なりのペースがあるのだろうから放置している」と書かれていました。
拙著『実践民事執行法・民事保全法』(日本評論社2011年)13頁のコラム2「マンガ・小説・映画で学習」では,「ドラえもん」,「北斗の拳」,「ナニワ金融道」を紹介していますが,ドラえもんの出てくる民事執行法の教科書は本邦初ではないかと自負しています。
新聞記事
「育児休業後に裁判官退官」(読売新聞2002年6月26日・掲載許諾取得済み)
2002年10月1日から6か月間男性裁判官として初めてとなる育児休業を取得した後に,裁判官を退官しました。そのときの思いが掲載されています。
「元裁判官の子育て日記」(2003年1月20日女性共同法律事務所講演)
育休を取ったときの経験と感想をお話ししました。
(PDF版)
「男の育児休業増やすには」(朝日新聞2005年8月30日・掲載許諾取得済み)
私自身の経験を踏まえて,男性の育児休業を増やすための条件について述べています。
「男性育休に社会の“壁”」(宮崎日日新聞2006年10月8日・掲載許諾取得済み)
育児休業の体験を話した講演の記録です。要領よくまとめていただいています。
なお,育児休業関連の講演を,大阪弁護士会,大阪地方検察庁,京都府警本部,京都府教育委員会,日本女性会議全国大会,近畿はもちろん東海,北陸,中国,山陰,四国,九州各地の地方自治体,NPO法人,企業研修,労働組合などで,数多くさせていただきました。裁判所からの依頼はありませんでしたね(笑)
「裁判官の育児休業等をめぐる国会の議論」
これは,裁判官(特に男性)の育児休業をめぐって国会(衆議院・参議院)で交わされた議論を抜粋し,ポイントに下線を付して整理した資料です。
私が育児休業を取得した2001(平成13)年の11月16日の衆議院法務委員会で金築誠志最高裁事務総局人事局長(後に最高裁判事)が,男性裁判官の取得は1名と答弁しています。水島広子議員(民主党)が,「男性の育児休業取得がほとんどないというような状況を見て問題意識を持たないということは,裁判官としてやや問題があるのではないか。ジェンダーや人権という観点からは一女性として首をかしげざるを得ない判決も目についておりまして,まずは,自分自身の職業領域に問題意識を持って改善していくような姿勢ぜひ必要であると思います」という的確な指摘をしています。森山真弓法務大臣(自民党)は,「裁判官ばかりでなく,世間一般の男性方が多少縛られていらっしゃるということはお気の毒なことだと思うわけでございます」という気の利いた答弁をしています。
この委員会では,西村眞吾議員(自由党),瀬古由紀子議員(共産党)が,同年11月29日の参議院法務委員会では,千葉景子議員(民主党),福島瑞穂議員(社民党)がそれぞれ鋭い質問をしています。
また,私が退官するとの報道がなされた後,2002(平成14)年3月28日の参議院法務委員会で,退官の経緯について井上哲士議員(共産党)が質問し,金築局長が「現地に確かめたところ」,「嫌がらせはなかった」と答弁していますが,当時まだ在職中であった私には一切事実確認はなく,内容的にも私の認識とは異なります。
2009(平成21)年11月25日の衆議院法務委員会で,馳浩議員(自民党)は,育休取得後の裁判官の職場復帰のための研修について,「おそらく自己研鑽に努めている」という答弁に対して,「いきなりまた戦場に出てくるような話ですよ。何か必要な研修があった方がいいと思いませんか」と元プロレスラーらしい指摘をしています。しかも最高裁として休業をとった裁判官に対するニーズ調査すらしていないことについて「聞いていないんでしょう。それは相手のことを考えていない,おごりですよ」と厳しく追及しています。馳議員は「過去一人だけ男性で育児休業を取得した人がいるんだそうですよ。一人だけ。大したものだなと思いますね」と評価してくれています。
11月25日の衆議院法務院会では,大口善徳議員(公明党)が,同年11月27日参議院衆議院法務委員会では,木庭健太郎議員(公明党),仁比聡平議員(共産党)が,男性裁判官の育休取得状況はひどすぎる,やる気はあるのか,状況をホームページ等で公表してほしい,原因分析をせよ,と厳しい指摘がなされ,7年前とは攻守ところを変えた千葉景子法務大臣も「全く同感」と同調しています。
このような議論を見ると,国会議員の方々は普段は報道されないようなところでも,政党を問わず,しっかりとした問題意識を持って仕事をされていると感心します。価値引き下げばかりのような報道もいかがなものかと思います。
龍谷大学広報
「座談会変わる法曹界『法律家は社会の幸せの総量を増やす仕事だ』」龍谷54号2003年
龍谷大学の広報誌のために,村井敏邦先生(一橋大学・龍谷大学名誉教授),伊藤真先生(伊藤塾塾長),億智栄弁護士(龍谷大学出身),私の座談会です。
法律家を目指す方に読んでいただくと元気が出ると思います。
「ニュースの中身の素朴な疑問『裁判員制度』」龍谷62号2006年
学部生に,授業で裁判員についてアンケートに答えてもらった内容をグラフで説明したり,裁判員制度についての意見をインタビュー形式で述べています。
「龍谷人は語る」(2008年12月1日)
私が法科大学院で行っている要件事実論,民事実務総合演習の授業内容を説明しています。
「憲法を生きる,という精神。」週刊文春2002年11月14日号
大学が週刊誌に掲載したの広告の中で,憲法についてお話ししました。
新聞でのコメント
新聞社・通信社の依頼でコメントした記事です。ホームページへの掲載許諾を得られたものは本文をご覧いただけます。
2014年6月7日京都新聞(共同通信配信)「諫早制裁金支払いへ」
2014年6月7日佐賀新聞(共同通信配信)「開門実現高裁も迫る」
2015年4月19日読売新聞「『事故死』民事判決で『殺人』」
2016年2月25日読売新聞「体罰犠牲もう二度と 桜宮高自殺遺族訴え」
2021年10月7日読売新聞「金品受領訴訟 関電旧経営陣争う姿勢」
2021年12月1日読売新聞「医療事故報告 病院判断で差」
2023年3月3日産経新聞「開門26年ねじれ解消」
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